なんか言いたくなったこと

アイドルマスターを中心に、余計なことを書く。

とびきりのおしゃれして

【YE4RS単品】とびきりのおしゃれ【徳川まつり】 戸次P

容量の問題でミリシタはすでに消してしまったが、少なくともグリマスよりは楽しかったし曲も新鮮だった。
(新しいスマホを買ったらまたダウンロードすると思う)
ミリに対してアンチ的なスタンスをとる傾向がある方なので心もちアイドルたちにも
心理的な距離をおいているが、姫は面白いかもって感じで。名前がごつい。

私の姉も「私のことを姫って呼んでいいよ」と言ってのけるタイプだったので
「自称・姫」に対して親しみがあるというのがひとつ。
細切れのコミュから見える、キャラクターに基づいた完璧超人ぶりにおののいたのがひとつ。



そんなまつりを主役とした今回の動画は、15年P合作「YE4RS」、春夏秋冬の夏をテーマにした作品。
「とびきりのおしゃれして別れ話を」という曲名通り、
夏の盛りではなく夕暮れから夜にかけての、終わりの予感が漂う名残惜しさの時間で彩られる。
映像と歌が一直線上にあるような動画では、とびきり可愛い女の子と
その裏側にある目には見えない感情までも率直に切り取ってしまいそうで切ない。
勝手に感情移入して裏側を想像しているだけなのかもしれないが、
ミリシタでまつりの世界を触れてしまうと「キャラクター」とか「アイドルの裏側」なんて
常識的な価値観こそ失礼な気がして、見えているまま信じてあげたいというか…。
合作による1分の時間制限があったゆえの率直さなのかもしれないが、
時間制限のおかげでイメージPVのような曖昧な世界観も過不足なく成り立っている。



似たような曲で、逆にダンスPVということでこちらを思い出したり。
アイドルマスター1 あずさ マスカラまつげ てってってーP


(アイドルマスター“1”ってなんだろう?)
こちらもイベント「iM@S KAKU-tail Party 3 SR」参加作で時間制限アリ。
「マスカラまつげ」から自然と表情に注目させるアップショット、揺蕩うようなスローな動きを追うロングショット、
そのどちらも際立って余韻を感じさせるつくりで、その結果か案外とイメージPVっぽい。
しかし「マスカラまつげ」は「とびきりのおしゃれして別れ話を」よりもメランコリックな曲調でもって、
女性の未練を情緒的に歌い上げる。映像の浮かびやすさも演歌的。
歌詞の中の女性は「マスカラまつげ」に代表される別れに臨むためのメイクを指して
「自虐的なのか見返したいのかわからない」と、別れを受け止めきれていない。
だから「いちばんかわいいわたし」を装っても「ここに立っているわたしはだあれ?」と空回り、
その象徴として「マスカラまつげ」が涙に濡れて「あなたの記憶 最後のわたしはみごとパンダ顔」となる。
ここで「マスカラまつげ」=「とびきりのおしゃれ」だとすると、「とびきりのおしゃれ」のなんと軽やかなことか。
もちろん「マスカラまつげ」同様の別れに対する複雑な感情が表現されてはいるものの、
それはあくまでも女の子の感情の一瞬を切り取ったに過ぎない。
情景の具体性といい、女性の未練の描き方といい、それぞれの曲(ボーカル)の年期・対象層の違いを感じる。

「とびきりのおしゃれして」を見て、何かを装って背伸びした「理想の自分」と
その対立項としてある「素の自分」のどちらを愛するか…という
少女漫画でも繰り返される切ない問いについて改めて考えたりして。
まつりにとっての「理想の自分」と「素の自分」が対立するとは限らないが、
この歌の軽やかさや強がりにはまつりのそれとはまた別の「装った自分」と「素の自分」が見え隠れする。
「マスカラまつげ」のように「ダメな私=素の自分」的なものがはっきり描かれないだけに
決着のない心許なさが10代の少女らしくて心配にもなろうというもの。
恋愛における少女の表裏に重ねて、まつりの「本質」を見ることにも見ないことにも難しさを覚えてしまった。



閑話休題。
ミリシタ開始前ということもあって動画にはイラスト+MMDのみ。
とはいえ、静止画MADといえども、多様な人物イラストや背景、文字や文字フレームまで
演出によって動きを作り、様々な動きによって歌詞などのニュアンスを表現したり視線を誘導している。
動きで感情や展開を描くため、静止画MADの画面は非常に華やかで情報量豊かだ。
しかし、それらの演出はあくまでも(歌詞の可読性の低さから考えても)装飾的で、動画の中心にはまつりがいる。
演出によってまつりはより魅力的になり、全体の華やかさが向上しても統一感は損なわれない。
(それぞれのイラストの思い出が浮かぶPならなおさら切ないことだろう)

装飾的な文字演出(キネティックタイポグラフィ?まではいかないのかな?)は静止画でなくてもできるか。
静止画MADというのは大変。


さて、初めに書いたように別れをテーマにした本作では夕暮れや夜空の花火のシークエンスが象徴的だ。
夕暮れは別れ話をする「今日」のイラストの背景と動画全体のラストに、
花火は動画イントロの風景と静止画部分のラストに用いられる。
特に花火に関しては、作品の冒頭、まつりが登場する以前に作品の雰囲気を決めるとともに、
静止画部分のラストではまつりから花火にカメラが下から上にスライドすることで
まつりの全身と爽やかな笑顔から、現実に花火を見上げるのと同じような動きで散りゆく花火へと視線を移動させる。

個人的には最初にまつりのイラストが出てくるシーンも好き。
文字の配置や大きさ、色を細かく変化させる中に、
まるで線香花火の明滅に照らされているかのように見える瞬間があってとても美しい。
(その演出が意図したものかどうかはともかく)

oshare1.png

oshare2.png
座り込んでする花火といえば線香花火。
夏の夜のぬるさと火の熱さ、火薬のにおい、夜の音とかそういうものを思い出させる。
gif動画のがわかりやすいだろうけど動画を見てほしいってことで。



.//
グリマス終了に寄せて。
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  1. 2017/11/18(土) 21:00:00|
  2. ニコマス
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MAZE OF LIFE

1日に更新したつもりが投稿できてなかった…。
月1更新をしたいという気持ちで短いですがひとつ。

【二宮飛鳥誕生祭】MAZE OF LIFE もじさんP


「MAZE OF LIFE」は学園を舞台とするRPG「ペルソナQ」のOPテーマということで、
未知の冒険を前に高揚する青少年たちの姿が、まさに私の中の飛鳥のイメージと重なる。
彼女の一言、立ち姿の一回性のきらめきが動画から浮かび上がってくるようだ。


ということで、私の中の飛鳥のイメージの話。
私的な飛鳥のイメージが形成されたタイミングは、jewelries!シリーズにて募集されたカバー曲を模索したとき。
担当ではない後発のアイドルに対しては表面的な知識しかなかったため、
選曲の指標となるような彼女のパーソナリティについて吟味することが必要だった。
当時は飛鳥の声優が発表されていなかった(=個人曲がない)こと、
jewelries!003には、フレデリカ・志希・早苗・唯・周子など「ゆるい」アイドルがそろっていて、
それぞれのカバー曲を考えるにあたってアイドルごとの特異な性質(本質)に如何な差別化を図るか、
という思考も影響になっていたことも付記しておく。

その結果、私なりに見出した飛鳥の特徴は「頭でっかち」。
中二病的かつそれに自覚的で(高二病?)、賢しらなことを言うが具体的な体験に基づいた言葉に乏しい…
というのが当時獲得した印象である。まあ、先達の「中二病」アイドル・蘭子が邪気眼系であるのに対して、
飛鳥は原義的なタイプとして描かれているだけかもしれないが。


以上より、飛鳥にとってアイドルという「体験」のもつ輝きは、彼女のわずか14年という人生において
とても貴重な時間なのではないか、という感覚が常にある。
そうして、行く先も知らず迷走さえ楽しむ飛鳥の期待にあふれる心を抑えられないダンス、青春の逸る心に、
見ているだけの私までドキドキしてしまうのだ。
動画の構成も、前半は静止画を使った抑制的な演出を経て、サビに入ると一気に身体的な動きが画面を支配する。
それでいて、歌詞による飛鳥のない面描写だけは変わらないのも良い。
前述の通り、私は飛鳥の「言葉=思想」こそ彼女に備わっていたものだと考えたので、文字の演出もそのイメージに沿う。
このような青春の輝きを放つ動画に添えられる曲が青春RPG「ペルソナQ」のOP、つまり冒険の幕開けを飾る曲であり、
アイドルという処女航海にいざゆかんとする飛鳥を彩るのにこれほど相応しいものもないだろう。



参考:
「双翼の独奏歌」コミュは最高だったという話 - Dreamdancer
  1. 2017/11/09(木) 21:30:00|
  2. ニコマス
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東京は夜の七時

久しぶりに速攻で感想を書き終えた。曲や演出について調べる手間が少なかったからだと思われる。
初期の毎日投稿という縛りプレイで書きたいこと書きたくないことどうでもいいこと大体書いたので気楽だ。



あずさ、夜の七時。 いとり氏


「東京は夜の七時」は1993年リリースされたピチカート・ファイヴの楽曲。
最近ではリオパラリンピックの閉会式にて椎名林檎版「東京は夜の七時」が用いられ話題となった。
(その間には野本かりあ版もあるが、ここでは割愛)
椎名林檎版の歌詞については(ピチカート版「東京は夜の七時」への)「返詞」とあるところが特徴。
ピチカート版は律子がカバーしたことでニコマスでも有名である。

アイドルマスター YOURSONGより 秋月律子 東京は夜の七時 PVバージョン? ぽりぺくんP


また、17年上半期にはデレステを使った動画などもあった。


【デレステMAD】白坂小梅 東京は夜の七時 ぶどうとう氏


コメントに「本当は怖い唄?」とあるが、ピチカート版の歌詞の解釈についてググると
実際そのような感じで捉えている人が少なくない。
夜七時の東京というきらびやかなモチーフに対して、孤独でネガティブな言葉が繰り返される。
椎名林檎版の「返詞」との対応を考えても、ピチカート版は何か空虚を抱えた歌であるのだろう。

しかし、その「返詞」である椎名林檎版にはピチカート版の「あなたに会えない寂しさ」ではなく
リオ五輪を終え、次なる東京五輪やそこで出会う「まだ見ぬ存在への期待」が込められている。
例えばピチカート版では、東京が「嘘みたいに輝く街」と虚像のように描かれているが
椎名林檎版では東京を「夢みたいに実在する都市」としている部分がわかりやすい。
あるいは、ピチカート版では「私があなたに会いにいく(が会えない)」のに対して
椎名林檎版では東京五輪の開催国という選手を招く立場として
「あなたが僕らに会いにくる(のを今か今かと東京で待っている)」という形になっている。
ざっくり言えば、東京五輪に向けたポジティブな期待の歌ということだろう。



動画にはあずさのステージシーン以外に、いくつか実写風景が挿入される。
まずは冒頭からタイトル通り夜の東京の空撮、一端あずさのステージを挟んだ後、
街のネオン看板、<結婚・適職・転職・恋愛>手相・人相占いの看板と占いの様子が連続して映される。
その後、ポーンという時報とともに再度あずさのステージが始まる。

この占いに添えられた<結婚・適職・転職・恋愛>で思い出すのがあずさのデビュー経緯だ。
私は無印コミュしか見たことがないので現行のあずさについて断言することはできないが、
無印でのデビュー理由のひとつが「運命の人に逢う(見つけてもらう)」ため有名になることだった。
積極的なのか受け身なのか判断に困るが、このステージのあずさもまた運命の人に逢うために踊っているのだろう。
(サビ前で「早く運命の人に逢いたい」と出るので改めて指摘するまでもないか。
 こちらに限らず17年上半期に選んだ『春香、一人の夜。』でも
 砂嵐の画面にわざわざ「ザッピング」と出すなど、筋道を示す意識や気遣いを感じる)
流れ的にポーンという時報の音はあずさがその動機に目覚めたことを表現しているのかな?
占いに関しては趣味というだけで、それによってデビューを決意したというコミュはなかったと思うが
そういう流れもありえなくはなさそうで面白いなーって。



さて、返詞にあるいくつかの歌詞をあらためたい。
「目的地へ一瞬で接続(アクセス)して」
「僕ら自身が扉になった」
「あなたが把手に触れれば」

運命の人に見つけてもらうのが目的であれば、返詞のあなたがアクセスする目的地とはあずさ自身のことだろう。
しかし一瞬で目的地にアクセスできるはずなのに、僕ら(=私=あずさ)はまた扉であり、
あなたには取手に触れる必要があることも示される。
現実であれば目的地とあなたの間には扉が介入するはずだが、目的地も扉はほぼ同一の存在だと考えられる。
ここで、一番最初の「目的地へ一瞬で接続(アクセス)して」に注目する。
「一瞬」「接続」といった見慣れない表現が意味するのはインターネットなどの現代技術のことで、
椎名林檎の「接続」と同様の表現は、東京事変「電波通信」という曲にも見られる。
動画では街を横断するバイクやタクシー、飛行機といった物理的な移動手段も挿入されるが、それと対比的でもある。



ダンス構成は以下の通り。
イントロ~Aメロ:Honey Heartbeat
Bメロ~サビ前:アマテラス
サビ~Cメロ前:七彩ボタン
Cメロ~大サビ:アマテラス

最初は「Honey Heartbeat」の頭から始まり、音楽と合ったダンスが当てはめられていく。
ステージを大きく使ったり飛び跳ねる動きも多いので躍動感を感じさせつつも、
コミカルな動きが随所にあるのでいわゆるダンザブルとは違った趣があずさとマッチしている。
Bメロの「アマテラス」、今まで考えたこともなかったが字幕に合わせると
人を探している(遠くに目を凝らす、周囲を見回し何度も振り返る)様子に見えてくるからすごい。
ここは「アマテラス」の歌詞も「唄が聞こえて 君に会えるのです」で、それもピッタリ。
「アマテラス」にも『ハートビート』『高鳴る胸』(何度同じことを言うのかw)って歌詞があるので、
なんとなく繋がってるのかしら。
サビは「七彩ボタン」の大胆なジャンプから。
「地球の裏側 誰か目覚める」=あなたがあずさに気付いた部分は、
「七彩ボタン」では「始めまして ぼくに 出会ってくれてありがとう」。
しかし、あずさ自身は相手が気付いたこと、あるいは出会ったことを知覚できないため、
“…何処かしら?”となる。多分。


tokyo7_1.png
可愛い!
大サビで画面が一気に広がると、この表情が映し出される。
こんな表情をしながら「早くあなたに会いたい」って全身で求めているのだと思うとたまらない。

tokyo7_2.png

tokyo7_3.png
平常時やコミュの頬に手を当てて照れる(困り笑い)のモーションを思い出させる、可愛い。
どうして「落ち着けそうにない」のかって、運命の人を待ってるからだよねえ。
すべてが可愛い。これだけで大勝利って感じある。


そういえば、天照大神は太陽神なのでニコマス的にもあずさにあっていると言えるのかも(適当)。
「アマテラス」にはみんなの憧れるアイドルという華やかな面とプロデューサーに導かれる女の子的な面の両立が、
太陽神でありながら天岩戸に隠れる逸話をもつ天照大神になぞらえられる。
そしてその表裏一体の調和が、あずさの積極的なのか受け身なのかというデビュー動機とも重なるのが面白い。
また、「アマテラス」の歌詞にも「扉開けたら君に会えるのです」と
椎名林檎版「東京は夜の七時」にあった扉に触れる部分が存在するのも良い。



動画は最後、朝焼けに照らされる街で締めくくられる。
今この時代にあずさが扉となったからには、運命の人が日本の裏側にいたとしても
きっと彼女を見初めて会いにくるはずだ…と言いたいところだが、
東京の朝焼けなのでやっぱりあずささんの運命の人はプロデューサーさんなのかなw
あずさが踏み出した瞬間に運命の人と出会えたということは
彼女が決意したことが運命の人と出会うための必要条件だったわけであり、
あずさ自身も目的地へ一瞬でアクセスしたわけでもあり。
そういう直観的な結論ってすごく好きなのであずさのシナリオ本当に好き。

どこまで意図したものかわからないが、動画に存在する複数の要素が丁寧に織り重ねられた作品であり、
何よりあずさがめちゃくちゃ可愛い作品である。眼福。



//
あずさのデビュー理由とパフォーマンスに椎名林檎版「東京は夜の七時」を重ね合わせる的確な発想に心から驚き、
同時に林檎ファンとしても、椎名林檎の「人工的で美しい東京」って感覚が好きなので、
実写のネオンの輝きを背景に踊るあずささんがとてもキラキラしてきれいで嬉しかった。
改めて言葉にすると、私から世界へ、そして再び私(、私とあなたの二人の世界)へ…
というスケールの飛躍が好きなのかな?ということに気づくきっかけにもなったので感謝。
まあ、書いていることは相変わらず動画を見ればいいことなんだけどw


以下の参考文献によると、
本来ピチカート版にあった恋愛的要素は椎名林檎版では取り除かれていたが、
再びあずさに用いられることで復活しているのがまた良いなあと思った次第。
久しぶりにあずさコミュ見たら、あずささんがPを選ぶ理由がはっきりしていて良かった。


参考文献:
『アマテラス』という楽曲について
『東京は夜の七時 -リオは朝の七時-』歌詞精読
  1. 2017/08/03(木) 21:00:00|
  2. ニコマス
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エイリアンエイリアン

GWです。伊織の誕生日だけど貴音の動画です。

【アイマス】宇宙人たちでエイリアンエイリアン【手描き】 右半身氏


見ると、たまに泣いてしまう。
大半の視聴者、あるいは製作者もこれを「切ない」とは捉えていないかもしれない。
「キャラクター」としてのエイリアン(舞田・安部菜々)に対して
「ホンモノ」のエイリアン(貴音)がオチとされることで、
前者とは全く異質な、生来与えられ逃れざるものとしてある
貴音の運命(属性)や孤独の強度が描き出されるとともに、
そこに貴音個人の性格や感情がいかに摩耗されていくのか、
SPシナリオを思い出して切なくなってしまった。


【貴誕2017】 ひと夏の経験 【iICF17】 annP
こちらは補助線というか、『エイリアンエイリアン』の前に『ひと夏の経験』を見たことで、
より上記の印象が強まったのだろう。
SPシナリオから察するに、貴音は離散した国民を統治・統合する「女王」としての役目を負っているらしい。
生まれながらにして多くの国民を背負う為政者「女王」という運命にある貴音が、
まったくの個人として国民ではなくたった一人の人間に自らを捧げる…という物語だと考えると、
それがいかに「女王」の運命に反しているのかわかるだろう。
特に貴音の美しさの一端には、「女王」という崇高な使命を引き受ける信念、気高さも含まれるのだから、
それを貴音自身に投げ打たせるということがいかに罪深く、彼女を汚す行いなのか。
貴音という強力な背景をもったを用いたことで、楽曲が本来有する少女の聖性や背徳の度合いが
より一層強くなっているはずだ。慧眼である。



…ということを、ぼんやり考えながら『ひと夏の経験』を見た後に『エイリアンエイリアン』を見た。
ファム・ファタールとして描かれていたエイリアンのわたしも実はあなたが好き…という物語も切ないが、
それ以上に、舞田・安部菜々に対比される形で貴音が真打におかれたことで、
対比されたからこそ断絶され浮き上がってしまう「ホンモノ」の孤独を強烈に印象付ける。
上記のようにキャラクターとして後天的にエイリアンと称される舞田・安部菜々に対して
生まれながらエイリアンであるというだけでなく、
舞田=Mマス、安部菜々=デレマスの母体であるアイドルマスター(765)=貴音という
重鎮的な立ち位置が与えられるとともに、登場までタメが設けられているなど、
舞田・安部菜々とは明確な差別化がなされている。
ホンモノでありアイマスシリーズの母体に属する真打としての演出は、
貴音と舞田・安部菜々との立場の差、つまり孤独を感じさせるものでもあった。

それは非常に鮮烈で美しいが、同時にSP(ワンダリングスター)など貴音シナリオで
たった一人で運命に立ち向かう苛酷さがいかに貴音を傷つけたのかを知っている身としては、
ここで描かれる美しさは寂しさと表裏一体で、見るたびに涙を誘う女王の物語を感じさせるのだった。


アイドルマスター 「完全犯罪彼女」 貴音 そいP

こちらを思い出したのは、要するに個人として恋をする=堕落=犯罪者の烙印みたいな
連想が自分の中であったのだろう。



//
こういう妄想好きw
まぁここまで思い詰める必要はなくて、女王をやりつつたまには個人の楽しみをもてば健康的で良いのでは。

みんなのアイドルと「自分の」アイドルというアイドルを対象とした恋愛ものにも通じるテーマなのかも。
しかしこうやって考えると、広がり続けるアイマスシリーズ、
その母体である765メンバーの重圧、あるべき姿はどうなっていくのか、
怖いような楽しみなような気がします。

ていうか私のSP体験としては雪歩のライバルになる貴音なんか普通に見捨てたので、
貴音に同情する立場でもないと思うが。
  1. 2017/05/04(木) 21:30:00|
  2. ニコマス
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陽気なアイドルが地球を回す

陽気なアイドルが地球を回す 00 レストP


私が見ているくらいだからノベマス好きの人はみんな見てる(断言)、『陽気なアイドルが地球を回す』の話。
たいていの感想は書かれていそうなので、歌詞10選的な、BGMや歌詞から好きなシーンについて少し。
がっつりネタバレありますのでー。



『陽気なアイドル』は、物語(映像・文章)と音楽、それぞれの展開の一致が目にも耳にも楽しい。
タイミングを一致させるために調整するとなれば、
その多くは音楽よりも映像や文章側になるのだろうがそれらにまったく無理がない。
(と考えると、音楽に合わせて展開される物語はPVに似ているのかも)
本作では本来BGMとして作られていない曲も場面に応じて贅沢に使われているが、
中でも「これを聞くために動画を見る!」くらい好きになった曲が、Chouchou「TRICKER」。
本作09話『異常者達』と番外編の美希、16話『十三階段鯨が昇る』のあずさの背景に供される。
番外編はキャラ個別のエピローグになっていたので、どちらかといえば美希のテーマか。

映像・音楽の展開の一致によって相互にポテンシャルが引き出される場面は多いが、
「TRICKER」はそれに加えて歌詞までも人物の状況やその心情に重ねられる。
曲の初出は09話の美希のシーン、公式HPより歌詞の和訳を一部引用する。

ハートの6は仮面舞踏会へと誘う
全部夢だってわかってる
でもどうか起こさないで

左目は自分の手で覆うから
仮面で顔半分だけ隠せばいい

そのカードはスペードの9
近づけないで
悲劇の王様になんてなりたくない
悪夢から覆い隠して
悪夢から覆い隠して
仮面に私を隠して

Aメロから一番サビまで。
トランプ占いでは、「ハートの6」は期待や幸福、
「スペードの9」は全カード中でも最悪を意味する「不運のカード」とされている。

現実逃避を自覚しながらも、逃避を続けなければ「悪夢」に直面してしまう、
おおまかにはそのような歌詞だろうか。
そんな曲のサビ、「そのカード(the card)」とともに始まる「陽気なアイドル~」の展開が以下。

youki1.png
美希は超能力のせいで社会に馴染めず、ヤクザの悪徳を親分と慕い犯罪に手を貸すことで
なんとか自分の居場所を得ようとしていた。(最終回、悪徳のもとを離れた美希には帰る家もない)
しかしヤクザのような落伍者の中にいても美希の異常性は明らかであり、
美希は社会から逃げたことで「逃げ場所にさえ居場所がない」という事実をかえって自覚してしまう。
美希はその事実からも目を背けていたが、09話(上画像シーン)にてついに悪徳からそれを突きつけられることとなった。
(こう考えると、涼が自分と同じ超能力者の律子さえ騙しきってしまったことから、
 「超能力者の中にいても異常」という涼の美希を超える異常性がよくわかる)

上の画像にあるモノローグのラスト、「一人にしないで。」の一文が表示されると、
「近づけないで」という歌詞とはうらはらに、美希はじわじわと追い詰められていく。

youki3.png
ちょう可愛い。
歌詞だけでなく、畳み掛けるような歌い方も絶望感の演出に一役買っている。

好きな歌詞について、『陽気なアイドル』シリーズの「TRICKER」では
このように物語(映像、文章)と音楽の展開に歌詞までも一致する臨場感や、
すべての要素が一体となって視聴者に襲いかかる興奮を味わえるところだろう。



「TRICKER」をBGMとするもう一人のキャラクター・あずさについても少し。
登場人物のほとんどが超能力者で、それに葛藤を抱えているのは共通事項ではあるが、
あずさと美希に共通していることは、
「超能力が原因で孤立」、「孤立が極限に達するまでの過程を徹底的に描写される」ことだろうか。
二人の状況を孤立、孤独、疎外のどれでもって表現すべきか迷うが、
ただ、美希の超能力に比べあずさのそれは周囲の人物も気づくほど明らかな害があり、
その分だけあずさの「孤独の極」は厳しいものとなる。
つまり、あずさ自身でさえ自分の存在を肯定できないでいるのが彼女の現実だ。

例えば上記の美希のシーンに入る直前、亜美真美の「色」からその壮絶な人生について
美希が自身の境遇に重ねて涙を流したくだり、
この亜美真美と美希、対するあずさの違いには「一人か否か」という点があるだろう。
(単純に登場シーンで他のキャラクターとコミュニケーションをとっているかではなくて、
 それまでの人生をどの程度他人と過ごしたか、"孤立"していたかどうかということです)

あずさは美希とは対照的に自ら自分を追い詰めている。
上述の通り美希とあずさの共通する部分として、
二人は「自身のおかれた“逃避したくなる”、“悪夢的”な状況」=「孤独の極限」を
意識しながらも半ば無抵抗に迎えてしまう、という点がある。
また、二人のモノローグには「気づいていた」、「わかっている」と“正しい”現状確認が繰り返される。
気付いていながらも逃げ続け、ついに逃げ場を失った美希に叩きつけられた悲劇は、
逃げ続けた分だけ彼女の悲壮感に磨きをかける。
逆に自らの死を肯定したあずさには、そうと決意させるほどの罪悪感が
殺された人々の姿を模して彼女の死を後押しする。あずさの現状確認は死の追認なのだ。
しかし、あずさが本当に逃避している「事実」は「孤独の極限」に伴うストイックな自殺願望ではなく、
それに反するエゴイズムとしての生存願望だ。
エゴから目を反らしながらも強く否定したいがために、あずさの「良心」は一層死を肯定しなければならなくなる。
死が善としてあるからこそ、それを邪魔する者を「害する」ことが一周して肯定してしまえる、
あずさのありようの難しさには見応えがある。
「逃避」している事柄を「否定」する、そういう矛盾もとても面白い。
「愛の反対は無関心」とはよく言ったもので、毒薬を求めておきながら双子やPと関わる一貫性のなさ、
「死にたい」あずさと「生きたい」あずさが共存する内面の複雑さが、このシリーズのあずさの魅力だと思う。
見ている私も、死なないでほしいとは思うけど生きててほしいかっていうと簡単には言えないもんねえ。


もう一度「TRICKER」の歌詞を、今度は2番サビから引用。

降伏の時がくる

そのカードをパスして
決め札を隠しているのは誰?

悲劇の王様になる
あなたは正しかった
運命を受け入れなくちゃ
「立入禁止」の場所に辿りつく前に
この仮面を剥がされる前に
決め札が消えてしまう前に



あずさのシーンで「降伏の時がくる」に合わせられる展開は、
youki2.png
「清算だ」と呟きながらPの名刺を放り投げるシーン。

Pはあずさの逃避行を遮る取っ掛かり、つまり生への未練であったが、あずさはそれを「清算」してしまう。
そんなあずさの生存願望を取り戻し、自殺願望を奪うのが!
あずさの放り投げた名刺(生)をキャッチして、毒薬の鍵をスった雪歩になる。

あずさのSOSを受け取るのが雪歩なのは納得がいく采配だと思っている。
雪歩はいじめから逃れようと存在感を薄めるうちに、人に観察されない超能力を手に入れる。
「雪歩視点の灰色は雪歩の言う色褪せた世界」
「雪歩はスクリーン越しに周囲を見ていると言ってもいい状態」
とマイリストコメントにあるように、
雪歩は結果として「遠回りな自殺、その帰結として生まれた幽霊」状態に陥り、
おそらくは本人も望まぬうちに屈折した形でしか他人や社会と関われなくなっている。
傷つくことを恐れ概念的な死へと自らを導いた雪歩は、
自らを消失させるという点においてはあずさの先を行くキャラクターとも考えられる。
だからこそ雪歩は“あずさの向かう先”に思い至り、その境地を疑似体験したからこそ
「あの人は、自分が今どこへ向かっているか、わかっていない」と言えたのではないだろうか。
それでも雪歩がスリ→銀行強盗→アイドル、と社会へのアピールを強めて
生きた痕跡を残そうとするかのような様子と照らし合わせると、
死にゆくあずさに対して雪歩が「これはきっと私の役目だ」と決断し、能動的に関わったことは
雪歩の人生においてもまた意義深いことだったはずだ。
(その視点で見ると、17話後編の律子との「決意した者同士」のやりとりも示唆に富んでいる)
そのようにして、群像劇の登場人物たちと素直には関われない雪歩の配役と活躍は
可愛いだけでなく深みのあるキャラクターとして描かれていた。
あと、アピールのステップアップがとんでもないのはアイマスの雪歩っぽくてちょっと笑ったw
雪歩は存在感のなさを活かしてスリの才能を発揮、物語にユーモアと勝機を与えてくれる魅力的な役どころだし、
スリをしては「やっちゃった^^」と悪びれず微笑むお茶目なキャラクターの雪歩可愛い!
「その10人で、ホテル強盗をしましょう」ってカット、シーンそのものの高揚感と
カメラに一番近いためぼやけた雪歩の背中の象徴的な美しさよ…。


アニマス春香の動画で書いたかもしれないが、
私は「悪い予感を自覚しながらも状況に逆らえず破滅する」、
みたいなカタルシスが好きなので、美希とあずさの「TRICKER」は最高に興奮するシーンでした。



ついでに視聴理由など。
基本的には各所でオススメされていたこと、原作既読だから。
原作ファンというほどではないが
(既読だけどほぼ忘れてるし、あずさのモデルキャラクターが登場する作品とか読んでない)、
原作ありの方が原作との比較や配役の妙など楽しみの幅が広いので積極的に見ることが多い。
あとはメインの4人組に雪歩がいたこと、00話の巧みな映像や音楽演出にそそのかされて。

『陽気なアイドル』シリーズは各キャラクターが特異な能力と人生を備えており、
それらが交差することで物語が意外な方向に転がっていく。
群像劇の生む奇妙な関係性の面白さ、関係性から引き出される個々のキャラクターの魅力、
加えて配役の妙など、こちらの予想を裏切るような意外性?も継続理由のひとつだ。

あとこれは私だけかもしれないが、「超能力」という設定の理解について。
春香の「嘘発見器」という能力はわりあい現実的な理屈があり、
初めは春香を超能力者ではなく天才的なスポーツ選手のようなものだと捉えていた。
4人組では真・雪歩も同様で、逆に律子だけが明らかに先天的に人間業ではない技術をもっている、
すなわち超能力者だという認識だったのだが、
ところがキャンセラーやよいの登場で、(私からすると)春香は急に超能力者になった。
春香たち超能力者はやよいによって普通の人間らしくなれるのかもしれないが、
見ている側からするとやよいの能力に影響されることこそが普通ではない確たる証拠になる。
真のようにアイマス本来のキャラクターとの差異が大きければともかく、
春香は一見本来の「普通」イメージと大差ない行動をとっているように見えた(銀行強盗だけどw)こと、
過去があからさまに伏せられたことも拍車をかけて、
「普通」の顔をしながらまったく「普通」ではない春香こそ底知れない人物に見えてきたり。
それこそ「普通」の世界で生きる春香母も抱いた恐怖なんではないだろうか?
勘違いが原因とはいえ「普通のようで普通ではない春香」への戸惑いは私の心を掴んで、ついに最後まで離さなかった。
春香とやよいのやりとりで初めて『陽気なアイドル』世界は
普通の世界に紛れた異常者の話というより、常人には立ち入れない異常者が中心の世界の話なのだ、と気づいた。




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なんでテキスト系の記事が少ないのかと思ったら、書きっぱなしで上げてないやつが多いっぽい。
これも上げるタイミングを逃してたやつ。書いたのは2年くらい前(まだスクショする気力のある頃w)。
あずささんのところとかくどくて、もう少しスッキリさせたいけど難しいねー。
  1. 2017/02/22(水) 23:30:00|
  2. ニコマス
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