なんか言いたくなったこと

アイドルマスターを中心に、余計なことを書く。

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世界の終りのメロンパン

デレアニ3話によせて。

世界の終りのメロンパン 覆面作家P

デレアニを見たとき、「世界の終りのメロンパン」を見終わったときの途方に暮れる気持ちを思い出した。


この作品に出てくる名もない女子高生(以下女子高生)は非常に良い子だ。
暇を持て余しているからといって遊び歩くことはないし、
凛がスカウトされれば身を挺して友達を守り諭す気概もある。
凛以外の友達が登場しないわりに人間関係において寂しい様子もなく、
おそらくは良い家庭に生まれ育ったのだろうか、
親や先生の言うことにむやみに反抗せず、退屈に甘えず、自分や友達の心身を守る善良さがある。
現実と比較すれば、この退屈に擦れない女子高生は
「密かにアイドルを目指す女子高生」以上に貴重なものにも思える。
多少大げさだが、それくらい好感のもてるキャラクターだった。

だからこそ、この女子高生のいる場所を「世界の終り」と称されることがやるせない。
「世界の終り」というのはあくまでも自らアイドルの世界へ飛び出して行った凛との対比であり、
決してこの女子高生に未来がないというようなネガティブな意味を背負わせているのではないだろう。
それでも感情的になってしまうのは、
「じゃあどうすれば、この「普通に良い子」な女子高生の世界は始まるの?」
すなわち女子高生が自発的に好きなことや意志を得ることによって人生に参加する方法について、
外から働きかける明確な手段はほぼないと考えているからだ。


「意志を得る」ことのハードルを感じさせる要因の一つに、
「女子高生がPのスカウトを遮ったこと」がある。
一度は否定された夢物語を自らの意志で紡ぎだした凛の思いの丈は確かに素晴らしい。
しかし、逆に女子高生は夢をありえないことだと断じたけれど、
この女子高生(に限らないけど)が見知らぬ男性からの誘いを断るなんてあまりにも当然のことで、
それは決して彼女の瑕疵ではないはずだ。
凛がそれに応えられたのはそもそも意志をもっていたからに過ぎない。
あくまでも「普通の善良さ」だけで生きる女子高生には白馬の王子様も歌のお姉さんも現れないし、
ドラマチックなチャンスが訪れても変質者として処理されるだけだろう。
だからこそ女子高生は何か劇的な出会いを通してではなく、
日常の中で「人生を充実させる(物語にする)意志」を見つけなければならない。
もちろんなんとなく始めたことにハマったり才能を開花させるかもしれないが、
後者は才能自体がある種の奇跡だし、前者は女子高生が仕事や家庭に入っても続けられるかの問題がある。

私が(強いていえば)好きなことがある方なので「好きなこと」にこだわりすぎているのも確かだ。
デレアニの凛は「世界の終りのメロンパン」とは異なり
Pや卯月の後押しでアイドルの世界に踏み込んでいくことになる。
アニメの凛はアイドルにならなければつまらない人生を送ったのだろうか?
キャラクター設定として歌の才能(と魅力的な容姿)だけは常にあるようだから、
才能を発揮する機会を与えられること自体は良いことだし、
それはもはや「果たすべき物語(人生)」と言っても過言ではないだろう。
「世界の終りのメロパン」の凛が自ら「アイドルになりたい」と志したのなら、
意志と才能が果たされる物語もまた感動的だ(デレアニの卯月や未央に近いのだろうか)。

しかしそれらはあくまで個人の感覚とシンデレラストーリーの場合であって、
この女子高生に今は好きなことがなくても、この先好きなことに出会えなかったとしても
すなわち不幸だということを意味しない。
好きなことに捕らわれず普通に人生を送るだけでも十分楽しいのかもしれないし
女子高生にはそれが期待できるだけの良識がある。
それでも自分の夢を叶えていく凛の溌剌とした輝きと対比されてしまえば、
常識的な生き方は卑小と言い換えることもできる。
他人と比較するなんて馬鹿な話かもしれないけど、見ていてとてもつらいものがあった。
もしかしたら、女子高生もまた凛と出会ったことで変化し「世界の終り」から脱していくのかもしれない。
でも、「普通の女の子」に、凛と出会う機会は一生訪れない。



というような、作品と関係ないことを考えている。すみません…。
あんまり関係ないし感情的なので人に見せるのもどうかと思ったが、アニメも面白かったので。
「世界の終りのメロンパン」が嫌いということではなくて、
いろいろ考えることのできる素晴らしい作品と思っています。読後感ももっと爽やかです。

「世界の終りのメロンパン」は凛のスタート地点での特別性(輝き)、
すなわち意志が描かれるため、その対比物(影)としての女子高生の存在がある。
舞台裏ですらない客席の視点から登壇する凛にスポットライトを当てていて、
たまたま女優が同級生だったみたいな(単なる偶然なので、それ自体には意味がない)。
本来は凛に注目すべき話なのに客席を気にしてしまうのは
影にするには女子高生が普通の良い子すぎて、
客というより選ばれなかった女優、凛という輝きを対比物とした「影」の物語性を帯びているように見えるのだ。
たとえどんなに善良でも、それだけでは輝きや幸福は保証されないのも現実だし、
そもそも物語はないのに物語性を感じるあたり贔屓目なんだけど、
割り切るには女の子ってみんな可愛いからね、ちかたないねw
可愛い女の子が好きなので、
ニュージェネのスタート地点をバランス良く配置したアニメも人並みに楽しんでおります。
あとは宇宙一可愛い幸子の活躍に期待?w
ぷちデレラでバラエティやロケに関するセリフが多いので、そういうので登場するかなー。
シンデレラも元は貴族だしな~っていうか。
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  1. 2015/02/18(水) 08:41:00|
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