なんか言いたくなったこと

アイドルマスターを中心に、余計なことを書く。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

おしゃれ怪獣2.0

今回の記事は、私を育ててくれた(笑)三女Bさまへのお礼でもあります。
いろいろ書いてみて、自分でも考えが足りないわりに筆が滑って迷走したとは思います。
嫌になったときは三女Bさまの『おしゃれ怪獣』記事へどうぞ。
アイドルいおりん・モンスター級おしゃれ怪獣2.0答え合わせ編
aaa氏から解答を読むことができてありがたかったです。


おしゃれ怪獣2.0 aaa氏


これを見て考えることは、「自由ってなんだろう?」ということだ。
曲の「ファッションモンスター」は、ファッションを通じて自由を訴えている。
ファッションというと、斬新なものがもてはやされる裏で特異なものは浮いたり避けられたりする、
そういう理不尽な一面があると思う。
何が理不尽かというと、その基準が人それぞれだということだ(しかも人の基準も変化する)。
“正解”はほとんど強さと一緒である。
売れているブランド、女優(人気者)のセレクト、そういう強さ(評価)に追随するのが“浮かない”。
(まあ、商売としてのファッションに人気が必要なのは当然だけど)
別に売れていない服を着たって問題はない。
もちろんTPOにあった格好をする、くらいのマナーは欲しいところだが、
実際マナーを破ったって死ぬわけじゃない(職は失うかもね)。
それどころか、ルールや法律を破ったところで死ぬわけでもない(日本には死刑があるけど)。
何かをやりたいかどうか、結果を評価する人間から影響を受けるかどうか、それだけだと思う。
ではこのとき、評価する人間とはいったい誰なのか。


動画の話をしよう。
『おしゃれ怪獣2.0』を最初に見たとき、「これは伊織率いる竜宮小町の話なのだ」と考えた。
理由はタイトルから伊織の名前が消えたこと、竜宮小町のシーンが増えているからだろう。
けれど何度も見るうちに、「竜宮小町の伊織、の話なのだ」と考え直した。
本当は伊織が一人だけのシーンが増えているということに気がついたし、演出も伊織がメインだし、
何より歌が、自由を求める伊織の歌にしか聞こえなかった。
自由を求めるためにモンスターになるなんて、伊織しかありえないしね。

まず動画は、伊織の仕事風景から始まる。
このとき雑誌の表紙では「竜宮小町が世界へ始動」とあるから、竜宮小町の仕事は順風満帆、
その上で伊織はソロの仕事もこなしていることになる。
雑誌の表紙に特集記事、化粧品のCMなどと一口にいっても、よく考えると伊織のウケる年齢層が広すぎる
雑誌表紙の一つ目はブランドアイテム的に30代向け、もうひとつはノンノ風で20才前後の若者向け。
特集記事も30代向けっぽい印象を受ける“セレブリティ”を押し出したエレガントな写真と、
学生服やトレーニングウェアなど、ステージ上のアクティブさを感じる若者向けな写真。
その後のブランドコラージュ、ここで使われているブランドは(前後で出ているブランドに比べて)若者向け。
(唯一それなりなのはFolli Follieかなあと思うけど、
 そのFolli Follieは「¥1,500~」が目立つせいで安っぽいw)
化粧品CMのシャネル「ヴィタルミエール」は(年齢肌とか、-5才肌とかいうキーワードで売られるような)
あずささんよりさらに上の年齢層がメインターゲットだと思う…多分。
もちろん中学生が使えないわけではないが、CMに起用するには結構な英断だ。

とにかく、見れば見るほど伊織が幅広い年齢層の女性に受けていることが伝わってくる。
老若男女に大人気、日本だけではなく海外進出を目前にした伊織。
しかも伊織は生まれながらお金持ちで、それこそ765プロにも父のコネで入社している。
そうやって目的を持ち、そして着実に果たしてなお前に進もうとしている。
現在は律子というプロデューサーや亜美とあずささんなど、気心の知れた仲間と共に歩んでいて、
多少の拘束はあるだろうが、それはある種の「仕方ないこと」だ。
それこそ全部手に入れて、見れば見るほど「私の辞書に不可能はない!」状態。
精神的にも物質的にも、不足はない。この成功した伊織のどこに、不自由があるのか。


時系列順に追っていくと、次に気になるのがこれ。
fashionmonster-2.png
ワイヤードマリオネットと水着の融合…?胸元が水着。

後ろにいる亜美とあずささんは水着なのに、伊織だけはマリオネットである。
しかもここではあえてツインテールを見せ、ワイヤードマリオネットの下に水着があることを示唆している。
『おしゃれ怪獣2.0』では、白黒スク水やビビッドビキニ等、いろいろな場面で水着が出てくるが、
(唯一セーラー水着は出ない)
水着とはつまり、素の自分、“自由な自分”の象徴ではないだろうか。
たとえ竜宮小町の先頭に立っていても、自由ではなく縛られている伊織。
ワイヤードマリオネット=操り人形という拘束の下に、水着の伊織=素の伊織が隠れているということを
視覚的に表しているのだろうか。

ワイヤードマリオネットの説明。

ワイヤーで拘束された操り人形をイメージした衣装です。
人は誰しも、何かに束縛されているもの…。その何かとは、自分自身の心なのかもしれません。
あなたの心を解き放ってくれるのは…。


伊織は何ものにも負けない強さ(評価)を得た今、それでも自分自身に拘束されているのだろうか。

自由とは、不自由とは何か考えたとき、結局のところそれは自分の認識下にしか存在しない幻だと私は考えている。
だからこそ、歌詞にもあるように「このせまいこころの檻もこわして自由になりたい」と
伊織が訴えているように思った。

fashionmonster-3.png
これを見ると、「伊織がいない」と思う。
けれど無印の頃なら(あずさママシリーズを思い出すことはあるが)、不在を感じることはなかっただろう。
別にそれがいいとか悪いとかの話ではない。既に私がそういう先入観を抱いている、という話。
(関係ないけど「先入観をもってものを見てはいけない、という先入観」って言葉が好き)

fashionmonster-4.png
で、揃っても衣装はバラバラ。天使だったり悪魔だったり。

fashionmonster-1.png
これだけ成功していても、まだ悩んで立ち止まってしまう。
その後も、伊織はスク水で「マリオネットの心」ラストの“心がこわれそうだよ…”という部分、
いかにも何かに苦しみ叫んでるシーンを見せる。
伊織の悩みは、自由になりたいということについて、だと思う。
竜宮小町としてステージに立ちながら、いろいろな壁を一人で壊していくシーンが続く。

fashionmonster-5.png
そして、「アイドルマスター」「坂上陽三」といった、次元的に上位の存在さえ打ち破っていく。
メッタメタ。ちなみにこのときも水着。
(この白い水着、実は前の「ヴィタルミエール」のときにも着ているんだけど、
 あれはヘッドアクセがついてるからいいのかな?)
この後、竜宮小町で水着ながらも天使の羽をつけてピースサインを見せる。
それからは竜宮小町の仕事風景なのか、3人でファッション誌の撮影っぽいシーンもあり。

しかしその後、再び伊織が一人きりのステージが挿入される。
fashionmonster-6.png
この顔ちょう可愛い!が、顔よりもペンダントに注目したい。
これが竜宮小町のステージになると、
fashionmonster-7.png
ペンダントが消えて、悪魔の羽が装備される。
最初は天使の羽と悪魔の羽を対比して“3人でいることによる変化(不自由)”ということかな?と考えたが、
ハートオブヴァンパイアの説明を見るとそれだけではないと思う。

ハートオブヴァンパイアの説明。

茨の檻に囚われたヴァンパイアのハートをモチーフにしたペンダントです。
囚われた心を解放できるのは…果たして誰?
心はいつまでも解放を待ち続けています。


つまり伊織が1人でいるときの不自由を解放できるのは竜宮小町なのだ。
しかしその竜宮小町でいても、伊織にとって不自由な部分はある、という風にも考えられる。
歌詞の「鉄の首飾りを外してただ自由にいきたいだけ」はここに現れているのかも。

歌詞は他にも、「きめつけないで いい子でなんて いたくないって」と言う部分がある。
(ここは素直に「押しつけらたルール通りのいい子にはなりたくない」って意味?
 「悪い子になりたいわけじゃない」って意味かとも思ったのだが)
でもそんなこと言って、伊織ってめちゃくちゃいい子ですよね。
無印コミュでは、プロデューサーに甘えてわがままも言うし、ときには「私を守ってね」なんて軽く言うけれど、
だからといってプロデューサーが怪我をしてもいい、なんて思っているわけじゃない。
馬鹿じゃないんだからわがままが通じない場面があることも理解できる、
ただそういう不自由さに納得したくないだけ。
我慢したくない、という姿勢はわがままかもしれないが、私はとても好きだ。
というか、個人的には傍若無人なだけでわがままとは思っていないんですけどね。


閑話休題。サビに入ると、またものすごいアイディアが飛び出してくる。
fashionmonster-8.png
自由になりたい、そう思っているはずなのに型にはまっている。
この枠が“Fashion Mojister”で誤字なのはわざとだとは思うけれど、どういう意味だろうか。
個人的には、枠を通り過ぎた後に伊織の顔やダンスが見えなくなったこともあって、
“型通りが正しい(評価される)とは限らない”という意味で納得している。
(それでも、なんで「n→ji」に変えたんだろう?)

fashionmonster-9.png
この顔もちょう可愛い!
次にキモ春香の枠にぶつかってはじかれる伊織。けれど、その伊織の姿は(変顔だとしても)よく見える。
(無印では“しなやかとは型破りなり!”で納得しちゃうコミュもありますね。
 このコミュも「決められたこと、決められたとおりやるのは、大キライ」から、
 最後は自由にやろうぜって結論だったw)
キモ春香の枠は通れないだろwって思うけれど、じゃあ世間がキモ春香を求めたらどうするんだろうか。
(すごい言葉だ…世間がキモ春香を求めるってw)

アイディアはどんどん注ぎ込まれる。
fashionmonster-10.png
これ見たとき、「カメラは視点を固定するもの」ってのを思い出した。
スマホは次のシーンでキモ春香の海に投げられる…。

fashionmonster-11.png
メタ?その2。ここも伊織は一人で、ワイヤードマリオネット。(これが最後のピン)
ここからは竜宮小町ラッシュ。
fashionmonster-12.png
竜宮小町、律子と一緒に拳を上げる伊織。
伊織はたとえ不自由を感じても、竜宮小町が嫌なわけじゃない。むしろ大好きだと思う。
一人でいても、竜宮小町でいても不自由はある。自由になりたい、それは伊織にとってどういう状態なのか。
それは多分、伊織はそもそも自由であることを認めることから始まるのではないか。

fashionmonster-13.png
「ええんやで…」って単なるaaa氏の好みかギャグ、あるいは小休止みたいなモノにも思えるけれど。

ちょっと余計なことすぎるので小さく。
伊織が竜宮小町を好きだとしても、個人の意志がなくなるわけじゃない。
ときには自分のやりたいことを我慢して、竜宮小町に合わせたり、
わがままを言えない不満を飲み込むこともあるだろうが、だからといって意志が消えるわけではない。
また、不自由に感じることに「罪悪感を覚える」ことも多い。
(要は、わがままが言えない><って意味だからね…)
伊織は社会も自分も打ち壊して、自由になりたいと思ったかもしれない。
けれどそれは決して“竜宮小町を否定したい”という意味ではない。

ではどうすればいいのか。
たぶん、自由にすればいいだけだ。

歌のとおり、伊織は「自由になりたい」と訴えている(ように見える)。
しかしそもそも、私から見る伊織は不自由には見えない。
例えばランクが低くてできないことがある、と言われればわからないこともないけれど、
この伊織は竜宮小町としても一人のアイドルとしても大成功を収めている。
伊織が自由になりたいのならば、伊織にとって自由とはどんな状態か。
そもそもなぜ伊織は不自由なのか。それは、伊織が不自由だと思ったからだ。
自由に伴う責任、集団における個の犠牲など、
生きていればなにかしら拘束されることはあるけれど、抵抗できないということにはならない。
嫌ならやめたっていいのだ。では、何が伊織を拘束しているのか。
それは伊織自身に外ならないだろう。
伊織の自由の下に何かを選び、責任等に拘束され、不自由を感じる。
けれど、自由になりたいけど何かを犠牲にはしたくないから自由になれないってのは、
もはや自由じゃないか?と時々思う。全部自分のしたいようにしてるじゃん。
けれどこれを不自由だと思う、自分にさえ縛られてしまっている自分が、絶対的に存在する。
むしろすべてが伊織の中にしか存在し得ない。
解放されるにはただひとつ、「自分は自由だ」と伊織が認めるしかない。

伊織が自由だと認められないのは、自由に伴う責任のような意図しない拘束を、
「仕方ない」とは受け入れられないからだろうか。
「仕方ない」といったところで、したくないことがしたくなるわけでもなし。
しかし拘束を受け入れられなければ、目的自体をあきらめることになるだろう。
それでは自分に縛られた、結局は不自由な結果しか残らない気がする。

この動画を通して伊織がずっと叫んでいる「自由になりたい」という
(伊織自身が縛っていながらも解放を望んでいる)気持ちを、
キモ春香という訳のわからない(笑)フリーダムな存在が、ものすごく軽やかに肯定しているように見える。
竜宮小町で拳を上げ、そしてそれに応えるかのようなキモ春香「ええんやで…」の後から、
伊織は一人ではなく竜宮小町のステージに上る。
「ええんやで…」のとこで流れる、(あ、今許されてるな…)ってコメントが好きなんだよねw
伊織の中にある複雑な心理を、キモ春香があんなに面白おかしく、
それでいてずっしりとした重厚感で肯定してくれるのがこのシーンだと思う。

そして、その後は竜宮小町オンステージ、快進撃が続けられる。
伊織は竜宮小町にいても、もしかしたら不自由を感じることがあっただろう。
けれど一人きりでいてもやりたいことはできない。伊織のやりたいことは、竜宮小町だからだ。
そうやって本当に自由な伊織自身が(不自由も受け入れて)選んだ竜宮小町のステージで、
伊織は思いきり飛び跳ねて満面の笑みで着地する。

『おしゃれ怪獣』の最後で、伊織は竜宮小町の衣装を着ている。
けれど伊織は自由だ。むしろ、これこそが自由だ。
素じゃなくても素になることはできる。いつでも脱げるからこそ、自分の意思で竜宮の衣装を着る。
これは自由で、そこにあるのは紛れもなく伊織の意志と選択だ。
自由な伊織がいて、そして竜宮小町を選んで、成功を収めた。
とても幸せそうな伊織を見ると、本当に嬉しくて感動してしまう。

これは伊織の動画だ。この伊織は竜宮小町で、そしてこんなに幸せになってみせる。
竜宮小町を得た伊織の心を思って、私まで幸せで嬉しい気持ちになった。
伊織が伊織になるために竜宮小町は必要だったのか…と、感想を書いてみて感動も最高潮だ。
(今回は全体的に妄想が行き過ぎているので勘違いも多いと思う。
 また動画にとどまらない私の考えも書いてしまった。それだけ感動した、ということで…)


また、もうひとつ感動する点があって、
それは「私はアイドル♥」でも自由について言及されているところである。
伊織が今まで(たとえパラレルワールドでも)少しずつ重ねてきたモノのかけらが、
いっぱい詰まってるような気がしてたまらない気持ちになる。



個人的には、これの続き(?)だと思った動画。
Grace Kelly

私が勝手に読み取ったものとは違う、aaa氏の考えがあるんだと思った。
変なこと書いて本当にすみません。




今回は「不自由は自分の中にある」と解釈したが、そうでない場合に思いつくのは、
「自由の代わりに受ける責任に縛られた伊織」と「アイマスという構造に縛られた伊織」である。
後者についてはあまり興味がないので省略する。
前者についても考えたが、考える人間が同じせいか結局同じ結論に落ち着いた。
というわけで、以下は繰り返しというか蛇足である。
恥ずかしいし長くなるのでやっぱり小さくする。

「自由の代わりに受ける責任」について、自由を求めたはずの伊織が自由でいつづけるためには、
少なからず果たさなければならない責任がある。
いきなりフランスへは行けないし、好きなときに学校へも行けないだろう。
上で多少の拘束は仕方ない、と書いたが、責任も拘束もそもそも伊織が求めたものではないのだ。
もちろん常識的に考えれば仕方ないことだろう。自由と責任とは表裏一体だ。
ただ無印コミュでも、伊織は自由(あるいはランクアップ)に伴う責任や拘束に、ひどく混乱している。
「理解できるけれど、それは私が求めたものじゃない」
そういう伊織の声が聞こえてくる(幻聴?)。
この動画の伊織も、竜宮小町でいたいけれど、不自由になりたいわけじゃなかっただろう。

そもそも不自由とはどこに存在するのか。
考えたのは、不自由を自覚するから不自由になるのだ、ということだ。
伊織はすでに一人でもやっていけるかもしれない。
竜宮小町をやめるとして、律子や亜美やあずさは止めるかもしれないが、
それは“やめられない”ことにはならない。止められてもやめることはできる。
もしできないとすれば、それは伊織が、3人を振り切ってまでやめたくないからだ。
これは不自由だろうか。少なくとも伊織は不自由、抵抗を感じたかもしれない。
ここで不自由だと思うのは、自分に不自由だと洗脳されているからだ。
「ファッションモンスター」では「自由になりたい」というが、私たちはそもそも自由なのだ。
ただ、例えば自由を選ぶことで自分を束縛していたはずの家族や友人や、
愛情を手放すことになるかもしれないけれど。
自由になるということは、そのために自分が不自由だと思ってしまう原因を排除することにつながって、
そういう“他者を切り捨てる”とか他人を阻害するような形で自分を守ることに抵抗があるのも事実。
けれど、それは心理的な抵抗で、不可能という意味ではない。
『おしゃれ怪獣2.0』の伊織は、いくつかの拘束/ルールを壊してでも自由になろうとしている。
けれど結局、社会のルールを重要視しているのは何よりも自分で、
だからこそ「こころの檻を壊して」自由にならなければならない。
自分が自由だと思えば、自由になれないはずがない。


これを書くにあたって無印の伊織コミュ見直したんですが、
伊織って可愛くて健気で、めちゃくちゃいい子ですね。
前から好きだったけどもっと好きになりました。
伊織のトップ志向というか、やりたいことは今すぐにっていう姿勢が本当に好きです。
伊織が制限しない限り、伊織は常に自由で、なんにでもなれるしどこにでも行ける、そういう感じ。
当たり前なんだけど、それができない人って多いですから。
このコミュとか、「なんで私のやることに、他人が口をはさめるわけ!」って、
清々しいなーって思います。
素直じゃないし、アクも強いかもしれませんが、そもそもものすごく良い子だって知ってれば
もう一生ファンでいられます。


関係ないことですが。
すでに削除された『リトルグッバイ』では、伊織は竜宮小町にほとんど意味を求めていない。
(これは竜宮小町に問題があるわけではないが)
竜宮小町をあきらめた『リトルグッバイ』と比べて、『おしゃれ怪獣』のなんて自由で幸せなことだろう。
『リトルグッバイ』は好きだけど、やっぱり悲しい話だったので、
できればこういう幸せな話も見たいなあ、と思ったのでした。
終わり。
スポンサーサイト
  1. 2013/01/18(金) 21:59:16|
  2. ニコマス
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<Fly Me To The Moon | ホーム | おしゃれ怪獣 水瀬伊織>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://furumito.blog.fc2.com/tb.php/17-02965757
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。